アラフィフOLソフィー 母国語で教育を受けることができる幸運

教育

母国語で教育を受けるということ

日本は母国語で医学教育が完結できる、世界でも数少ない国のひとつである

これは、以前仕事の関係で交流のあった某大学の医学部で教員をしていた方から聞いた言葉です。

日本では、あえて外国語教育という目的がない限りは、初等教育から高等教育まですべての教育が日本語で行われます。
そういう環境で生まれ育ったソフィーにとって、医学教育であろうとそれは当然のことすぎて、改めて考えたこともありませんでした。
でも、とても興味深いことだと思いました。

日本の医学教育でカリキュラム上必要な教科書はすべて日本語で入手可能です。
日本人が日本語で執筆する医学教科書はたくさん出版されていますし、さらに海外で出版された定番の医学書 のたとえば”Gray’s Anatomy”, ” Harrison’s Principles of Internal Medicine”, “Nelson Textbook of Pediatrics”などは新版が出るたびに日本語に翻訳されます。

思えば、蘭学を取り入れた江戸時代から、日本人は外国語を翻訳することで知識や技術を国に浸透させてきました。
教育に限らず、海外の小説やビジネス書のベストセラーの多くが日本語に翻訳されます。
この「翻訳文化」は、日本人の知識欲の高さの現れとも言えますが、むしろ日本の発展と生き残りのために日本人のDNAに刷り込まれたものなのかもしれません。

韓国に行ったとき、現地の医学生と知り合う機会がありました。そこで、医学教育で使われる教科書は何語なのかと質問してみました。
答えは、韓国語が約3割、英語が約7割とのことでした。
韓国の場合、市場の大きさに比べ、外国語の医学書を韓国語に翻訳する労力や費用が見合わないという事情があるのかもしれません。

また、韓国の大きな病院を訪問した時のこと。
数か国語の通訳者が常駐しているということだったので、通訳可能な言語を聞いたら、中国語、日本語、スペイン語、フランス語とのことでした。
「あれ?英語はないの?」と思っていたら、「看護師も医師も英語を話せるので通訳者を使う必要はありません。」とのことでした。
英語を使って教育をしていれば、仕事で英語が使いこなせるということですね。

オンライン英会話のフィリピン人講師による考察

今から6年ほど前の2015年のこと、オンライン英会話のレッスンで、フィリピン人講師と語学教育についてディスカッションしたことがあります。
この先生は、飛び級で大学に入った優秀な方です。
フィリピンにはタガログ語などの母国語がありながら、学校教育は公用語とされている英語で行われるので、多くの人が英語を話せるということは、よく知られています。

当時、ソフィーは日本の英語教育の問題は、使うための言語としてではなく、学習するための言語として教育されることであり、その原因は日常生活で英語を使う必要性に迫られる場面がほどんどないことにあると考えていました。
なのでフィリピンのように、せめて学校教育の中で英語で科目を学ぶようにしなければ英語を使う必要性がないので、身につかないのではないかという考えを伝えました。
その流れで上記の「日本は母国語で医学教育ができる世界で数少ない国なんだそうですよ」と伝えたところ。このインテリの先生はこういいました。

「そうか、今わかったよ。日本人が優秀な理由が。」

彼の説明によると、こういうことでした。

  • 人間は言語を通じて理解し、思考する
    つまりしっかりとした言語能力を持つことは思考の根幹である
  • フィリピン人は母国語(タガログ語などの現地語)で日常生活を送っているのに、学校では英語で教科を教わる
  • つまり母国語以外の言語(英語)により、理解が浅く思考が十分にできない状態で教育を受ける
  • その結果、しっかりとした思考力と学力が身につかない人の層が一定の割合で存在する
  • このことが科学技術発展のハンデとなっている

いささか極端な考え方かもしれません。
でも、言語が思考の基盤であるという彼の指摘には、なるほどと思いました。

Voice of ちきりん #292 『頭と脳』 から得たヒント

またまた『Voice of ちきりん』(一部無料)から着想を得ました。
頭と脳』(有料)という放送回で、ある医師から聞いた話として紹介されていたことです。

アジアの国の言語の中には、脳と頭の二つのものを区別できない、つまり脳も頭も一つの単語でしか表せない言語がある。
脳と頭の区別ができなければ医療を回すことができないので、そのような国では、医学教育も病院の医療行為も、外国語を使って行われている。

ちきりんさんは、このことからカタカナ語の多い分野について得られた気づきを展開されます。
ソフィーはここから言語と思考について得られた考えを述べていきます。

日本人が医学教育を日本語で完結できるのは、蘭学の時代から西洋の知識を日本語に翻訳する習慣があったこと、そのおかげで西洋医学の概念の日本語化が進んでいたこと、その結果日本語で理解し思考する環境が整っていたこと、が主な理由だとソフィーは考えました。
解体新書、恐るべしです。

そんなことを考えていたら、ネットで興味深い記事を2つ見つけました。
作成日は少し古いのですが、今回の思索にぴったりの内容です。

  1. 日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。韓国日報 2008年10月10日 [accessed 2021/08/13]
    これは韓国人による考察です。以下引用です。
    日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。基礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。』
    日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。
    そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く思考するということであり、英語で思考するということではなくなった。
  2. 日本語で科学を学び、考えることができる幸せ – ノーベル化学賞の白川英樹博士が語る先人たちへの感謝 2017年8月29日 [accessed 2021/8/13]
    こちらは、ノーベル賞を受賞された白川さんの「人は母語で学ぶことによって、より核心に迫った理解ができる」ということについてのインタビュー記事です。
    アジア諸国の中で日本人のノーベル賞受賞者が多いのは、母語で学問を理解し思考できるから、という考えを述べられています。
    それは、日本が植民地にならずにすんだという歴史的な幸運も作用しているということです。

母国語ですべて完結できることは幸運なのか

日本とは、教育上の特別な目的がある以外は、ほぼすべての教育を母国語で完結することができる、アジアでも特殊な国のひとつであるということがわかりました。
万葉の昔から詩歌に興じ、江戸時代には庶民が高度な和算の問題を出して解きあう遊びをしていた日本人。知的活動を娯楽として楽しむ国民性。
そのことが、外国の知識を翻訳し、どん欲に取り込むことにつながったのだと思います。

母国語で教育を受け、母国語で理解し、深い思考をした末に発展を遂げてきた日本。
それは日本人にとって、とても幸運なことです。
そんな状況がこれからも続くとよいと思います。

ですが一方で、外国語を身につけることを難しくし、ガラパゴス化を促進する側面があります。
このことはグローバル化の時代にあってはデメリットとして働きます。
外国語を習得しようと努力してきたソフィーとしては、複雑なところです。

今こそ、日本人の特権として享受してきた思考力を発揮して、このジレンマを打破できないものでしょうか。

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